通勤ランとは「通勤時、走って会社に行き、走って自宅に帰る。」
言葉で表現すると、な~んでもないんですね。
ネットでは
「通勤ランであなたの持久力を飛躍的にUP!!!」
「ダイエットで脂肪を燃やすには、通勤ランが最適!」
「意識高めの ランガール には通勤ランがおススメ」
なんて言葉が サクッ と書かれてあったりします。
これを読んだ読者は、「おお、これイケるかも」とか気楽に考えるわけです。
が、しかし、通勤ランは結構どころか すごーーーーく
”鋼の精神” が必要なんです。
”鉄の精神” とか ”強靭な精神” とかではないんです。
そう、【はがねの精神】なんです。
ただの鉄ではなく、普通のヤスリではビクともしないような
おっそろしいくらいに硬い熱間ダイス鋼や超硬合金みたいなウルトラ硬い
精神が必要なんです。
ただの鉄のような心とかではないんです。
寒かったり暑かったり、あるいは楽をしたいといった気持ちがニョキニョキと。
そういった弱さを全て捨てて朝出発するわけです。
そんな中、果たして会社まで辿り着けるだろうか?という不安を胸に 家を飛び出すわけです。
つまり、会社までが壮大な冒険。
漁師さんの言葉に「板子一枚下は地獄」みたいな感じで
「玄関ドア一枚向こうは地獄」みたいに。
まるで、戦場の最前線に飛び込むように。
違う言い方をすると、スキー場の超上級コースを滑り始めるような。
そんな思いで、家を飛び出すわけです。
家のドアを開け、走り出すまでには、そういった心の葛藤や心配・不安を
”鋼の精神”で乗り越え、通勤ランを遂行するけです。
そりゃそうかもしれない。
これから仕事って時に走るわけですから。
しかも、仕事が終わって疲れた状態で走って帰るわけです。
肉体的にはそれほどでなくても、精神的に困難が伴います。
特に冬の寒さ(しかも薄暗い)の中での通勤ランは結構精神的にというか、モチベーションが下げ下げになる。夏の暑い日だとそれほど苦にならない。
強い日差しの中走ると、肉体的にはしんどいけど精神的に楽なことが多い気がします。
もしかして、太陽のパワー?
そのため、冬は太陽の日差しが少なくモチベーションが落ち込むのか?
太陽の日射時間が少ないとうつ病になりやすいとも言われるし。
冬山登山でも、山に入ってから5日も6日も連日吹雪で、登山中一度も太陽を見なかったりすると気分としては最悪。
冬の太陽のもと登った思い出は記憶に残っているけど、連日吹雪だったりすると、あまり記憶に残ってない。山に登ったというより、雪の中でもがいていたといった記憶しか残らない。
あと、テントの中や雪洞での記憶だけしかないこともある。
寒さや、日中の日差しが短いだけとは言い切れないが、いつも一緒の、山岳部の同級生グッちゃんや後輩のミッチー君も最近1ヶ月は通勤ランをしてないらしい。
聞くと、気分的にのらないとのこと。
明日こそは通勤ランをしなきゃとは思っているらしい。
僕も同じなんですが、明日こそは、明日こそは通勤ランをと願いなら、先延ばしになっている状態です。
まるで、小説の「あすなろ物語」(井上靖著作)みたいな感じです。
小説の中で、あすは檜になろう、あすこそは檜になろうと願った。
しかし、ヒノキにはなれなかった。その木が「あすなろの木」
明日こそは通勤ランを、明日こそは通勤ランをと願った、一人のランナー、、、
明日こそは走ろう、明日こそは走ろう、そう願ったが願いがかなわない。
小説風にいうなら、「あすラン物語」とでも表現できるかもしれない。
女性のダイエットも同じだろう。
明日こそはダイエットを、明日こそはダイエットを・・・
でも願いはかなわず、食べてしまう。
まさに、井上靖著作の「あすなろ物語」風に言えば、「あすダイエット物語」。
ここまで、グダグダと長ったらしい言い訳を書いてきましたが、この1ヶ月ほど通勤ランが出来てなかった、それだけです。
しかし、3月1日、遂に久しぶりの通勤ラン。
走り始めは気分が重いけど、15分もすればそんな気分も晴れ晴れと。
会社に着く頃には、気分爽快。
週末のトレーニングだと、気楽な感じで1日に30~50kmを走るんですが
通勤ランはハードルが高いというか、精神的にハードルが高い。
この記事を書いた3月5日時点で、阿蘇ラウンドトレイルまで残り67日。
今の時期は最も負荷をかける時なので、これからが勝負。
グッちゃん、ミッチー、頑張ろう!
ちなみに、今日も通勤ランやったよ。
今日の夕方も暖かいみたいだから、帰りは快適に走れそうな感じ。